丹色に金碧と多彩と -平成20年8月 前面復元- |
天井支輪にある「波と菊花」 長押上の蟇股に麒麟や鳳凰、羅漢などの彫刻 |
20年来春以来すすめてきた行元寺山門(仁王門)の彫刻と柱等の丹塗り復元工事が、このほど前面が完工した。
これにはJR東日本文化財団の支援と、篤志者の特別寄付、更には布施等の浄財、拝観料が充てられた。
山門は江戸中期の建立だが、創建当時は桃山文化の影を遺していたとみられ、江戸の寛永期の彫刻色彩に復元した。
特に顔料の豪華さの魅力と美しさを持たせ、藍銅鉱の群青色、金箔のほかに昆虫・植物からのエンジ色や水銀からの朱、丹土などに特色がある。
裏側も復元中だが、ひとりでも多くの拝観と支援を待っている。
筑波大学教授 斉藤 泰嘉 先生
−講演要旨−
「波の伊八」とはどんな人だったんだろうと考えながら、授業でも話しているが偶々、先日東京都の現代美術館で、加藤弘子学芸委員と話をしていたら、近く行う岡本太郎の展覧会の準備中とかで、写真を見せられた。
波の伊八の現代性
それは、岡本太郎作の「明日の神話」という巨大な壁画で、高さ六メートル、横三十メートルのものだった。
そこには、前衛性、現代性があって、岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言っていたが、長南町称念寺の波の伊八の「龍三態」を見たときの、その造形感覚が重なって、岡本太郎と波の伊八の現代性を感じた。
「龍三態」は伊八が亡くなる前年の文政六(一八二三)年七十二歳のときに成ったもので、彼の究極の到達点というか、彼のたどり着いた最高作品だと思う。
伊八とピカソ
そこには造形のダイナズム、江戸のものとは思われない現代性があり、波の伊八とピカソを考えるに至った。
その前はすでに言われている葛飾北斎と、行元寺の「波に宝珠」の欄間彫刻と北斎との関係、さらに北斎の「神奈川沖浪裏」がフランスに渡って、カミユ・クローデルの彫刻「波」になって、浮世絵版画が彫刻に変わっていった。
こうして日本からフランスへ、イメージが生まれ変わっていった。その過程を見ると面白く、ゴッホの絵の夜空に星が渦巻いている「星月夜」、英語のスターリィナイト、すべてが北斎の影響であると、ジャポニズムの研究で言われている。
ただ、もっと行くのではないか。ピカソまで、そういう北斎に代表される江戸期の空間表現、もし北斎の「神奈川沖浪裏」が伊八の欄間彫刻から影響を受けたとすれば、その空間表現は日本独特のものだと思うが、そういったカミユ・クローデル、ゴッホ、ピカソに至ったものを考え、現代美術の歴史を作って行った。
そういう美術の理論と歴史の面から、波の伊八を見直してみたい。
伊八の魅力はどこにあるのか。では、ピカソとは何か。
複数の視点から見て彫った波や龍を、ダイナミックに再構成する動的遠近法、これは東洋的な見る視点が移動する移動視点法、伊八の場合、江戸のキュビスム(立体主義)と呼べる。
ピカソの絵はわかりにくい代表と言われるが、例えば俳句の「菜の花や月は東に日は西に」をもじっていうと、「ピカソの絵 鼻は東に目は西に」となろう。
目は横から見た目なのに、鼻は正面から見た鼻、逆に鼻は横から見れば尖(とが)った鼻、目は直線にといったように複数の視点から同一の対象をみて、しかもそれを同一の画面に入れていく。
これが複数の視点による動的遠近法、なぜかこういう絵が生まれるかというと、われわれは物を見る場合、動きながら見ている。互いに時間の経過の中で人間は生きている。その時間の経過の中で体験する横顔、正面の顔を一つのものに統合して、われわれは現実を体験している。その時間の経過を絵にすると、ピカソの絵のようになる。
伊八の「波に宝珠」と神奈川沖浪裏の図
神奈川沖浪裏図(北斎) |
それで北斎の場合はどうか。
複数の視点を空間表現と組み合わせて、高遠・深遠・平遠・という中国の山水画の空間表現が「神奈川沖浪裏」でも使われている。
実は、伊八の「波に宝珠」に高遠・深遠・平遠の動的遠近法、この三つが組み合わさって時間的経過、鑑賞する者の視点の移動、ダイナミックな生きた波の表現に到達していると思われる。
神奈川沖浪裏をみると、まず平遠は平らで遠い素直な遠近法、画面右下の下前の波は下にあって、遠い波を徐々に積み上げていく。低い視点から遠くを見る、これが平遠。
次は深遠だが波に盛り上がって落ちる。この波の肩越しに見て舟がある。われわれは舟に乗っている人を上から覗く。これが深遠法で、この舟はこのところが問題で、よく見ると不思議なコラージュというか、切ってあるように見える。船尾は描いていない、これが北斎のすばらしいところである。
前の部分だけで十分、肩越しに描いて、如何に深く下の方をへ落ちていくか、そういう空間を体験する。盛り上がっていって、今度は高い山の波の頂を下から見上げるのが高遠法で、絵の鑑賞者の視点は下から上へと移動していく。
下から見上げるのが高遠法で、絵の鑑賞者の視線は下から上へと移動していく。これが高遠。
さらに北斎は、三つの空間表現だけでは満足せず、もう一つの西洋の遠近法を使っている。
それはどこかというと、陸上の富士山に対して海上の富士、それが小さな女波の波で、よく見ると形がそっくり、遠いものは小さく手前のものは大きく、線で結ぶとここに軸線ができ、透視図法的になっている。
西洋的な目に見えない軸を設定して、その周りを波が回転するように見せている。
複数の視点から
これを北斎はどこで学んだのか。
行元寺の欄間彫刻から三遠を学んだのではないか。
小さな宝珠を船に置き換え、伊八の逆遠近法で手前を小さく、奥の宝珠を大きく、北斎のピカソに通じるような動的遠近法がみられる。
われわれは平遠・深遠・高遠の三つを組み合わせて、この中に入って、視点を上に、見下ろしたり目を動かしながら鑑賞していく。
まとめとしては、ピカソのキュビスムに関連する。
行元寺の彫刻で、伊八は馬に乗って、太東岬の海に入って、馬上から波を見上げたり見下ろしたり、複数の視点から対等を分析し再構成する。主観的で心の中にあるものを表現する方法に伊八の現代性を感じさせる。
もう一つ、波が平らにきて真ん中に宝珠がはじけるように、幾つも波の上に落ちているような瞬間をとらえた波の彫刻がみられる。そのときに波の筋の線が縦になっている。
その宝珠がはじけている波は、正面からみている、波の裏側の筋は垂直に立っている。それに対して横に筋が入っている、斜め横の真横から、そういう複数の視点でみている。
そこに江戸の生き生きしたダイナズムを感じる。浮世絵版画はそういうものを持っていた。
ピカソ以上のうねり、ひねり
波の伊八には、ピカソ以上のうねりやひねりがあり、狭い欄間から脱出しようとする爆発力がある。そういう現代作家の一人に岡本太郎がいる。太郎の「明日の呪文」はピカソを意識した壁画である。 <後略>
(文責 市原 淳田)
-19・5・19-
「江戸期彫り物の美研究会」 行元寺
好評につき、前号「波の伊八と岡本太郎」を「波の伊八とピカソ」と改題再掲
Founded as the Ukiyo-e Society of America Note from Japan : A Possible Model for Hokusai's Great Wave off Kanagawa |
日本からの手記:これが北斎の神奈川沖浪裏の原型かも知れない
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Katsushika Hokusai(1760-1849),Great Wave off Kanagawa,color woodcut and Takeshi Ihachi Nobuyoshi (1751-1824),Waves and Peaked Treasure Orb,carved wood. | 葛飾北斎(1760-1849)、「神奈川沖大浪」、多色木版、並びに武志伊八郎信由(1751-1824)、「浪と宝珠」、木彫り |